社長メッセージ

2025年7月1日、長年にわたり社員寮として活用していた創業の地に、アトリエとオフィスを移転し、お蔭様で1年間、事故もなく、改めて地元の皆さんと交流を深めながら、ご一緒に歩んでくることができました。ありがとうございました。長年、パイロットシューズを支え、導いてくださったすべての方々のお力添えと深く感謝申し上げます。

そして、この1年の間にパイロットシューズは、子会社であったエフ・オージャパンを吸収合併いたしました(2025年12月1日付)。これにより、グループとしての力を一つに束ね、より機動力のある体制で、これからの製靴事業に取り組んでまいります。

また私自身は、2016年5月から10年間務めさせていただきました全日本革靴工業協同組合連合会会長、そして2020年6月から6年間務めさせていただきました一般社団法人 日本皮革産業連合会会長を、それぞれ退任いたしました。長きにわたり支えてくださった業界の皆さまに、心より御礼を申し上げます。これからは両会の顧問として、これまで培ってまいりましたご縁と経験を糧に、靴産業ならびに皮革産業のさらなる発展に、微力ながら寄与してまいりたいと願っております。

世界各地で続く紛争や、自国優先主義がもたらす経済への影響は根深く、輸入資材に頼っている皮革関連業種において、特に円安傾向は厳しい状況が続くと考えられます。しかし、逆を返せば、海外マーケットを魅力ある市場と捉え、とりわけブランディングやマーケティングへの投資を惜しまずに進めてゆくことで、大きな可能性が開いてゆくことも感じております。

パイロットシューズは、すべてのお客様がそれぞれのかけがえのない個性を輝かせ、心の豊かさと身体の健康につなげていただけることを願い、2026年2月にはメンズスニーカーをデビューさせることができました。革靴先進国であるイタリア、そして、革靴の聖地であるイギリスノーザンプトンでもなし得ない、日本ならではの「お・も・て・な・し」を取り入れた『マス・カスタマイズシステム』を活用し、新たな「Wisteria Fujiwara」をご提供させていただきます。

そして、AIがますます発展し、大きく世界が変わってゆく今、AIの強みを最大限に活かしながら、人の温もりや、人とのつながりを大切にした「共鳴」が求められていると感じます。台東区浅草の地場産業である履物産業を盛り上げるために、世界最先端の製靴技術やAIロボティクスと共鳴し、メイドインジャパンの履物を世界に発信してゆくことを視野に入れる必要があると思います。

次なる節目に向けて、「Wisteria Fujiwara」も社員と『響働』し、なお一層の努力を積み重ねてゆきたいと願います。引き続きのご支援、ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます。

2026年7月
一般社団法人 日本皮革産業連合会 顧 問
全日本革靴工業協同組合連合会 顧 問

パイロットシューズ株式会社 代表取締役

藤 原 仁

会社概要

社名パイロットシューズ株式会社
PILOT SHOES Co., Ltd.
本社〒 111-0025 東京都台東区東浅草 2-22-5
アトリエ〒 111-0023 東京都台東区東浅草 2-24-16
TEL 03-3874-8121 / FAX 03-3874-8126
サロン〒 111-0025 東京都台東区東浅草 2-22-5
TEL 03-5808-0744
E-mailinfo@pilotshoes.co.jp
URLwww.pilotshoes.co.jp
創立1950年6月
設立1975年2月
資本金2,000 万円

パイロットシューズの歴史

1950 年(昭和 25 年)靴作りの本場、東京浅草にて「さくら製靴」として、藤原勉が創業
1953 年(昭和 28 年)「藤原勉商店」を経て、社名を「パイロットシューズ」に変更
1981 年(昭和 56 年)藤原富子社長就任
2002 年(平成 14 年)藤原仁社長就任
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名称未設定 (Webサイト)
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藤原 勉(初代)

1907年(明治40年) 12月28日、岡山県玉野市田井生まれ
船乗りとして大海原を踏破し、数々の逸話を残している。
昭和21年に富子と結婚後、昭和24年夏に単身上京し、浅草で「さくら製靴」を創業
船乗りから靴づくりへ、という珍しい転身だった。
後に、船乗りだったことにちなんで社名を「パイロットシューズ」と命名し、靴業界の古い慣習にとらわれず、数々の新たな仕組みを導入した。職人制で不安定な生産体制にある業界の中にあって、当時では珍しかった給料制を取り入れたり、社員寮も作って従業員が安心して働ける会社環境を作るなどして、まさに「水先案内人」としての働きを成していた。船乗り時代、何度も遭難に遭いながら、たくましく生き延びたそのエネルギッシュなパワーで、事業も順調に成長させて行った。しかし 昭和51年、突如、多発生骨髄腫に罹り、5年間の闘病生活の後、昭和56年1月15日他界した。浅草の靴産業の発展に大きく貢献し、道なきところに道を切り開く、まさに砕氷船のような人生だった。

藤原富子(二代目)

1926年(大正15年) 8月1日、岡山県児島郡生まれ
昭和21年、21歳で40歳の勉と結婚。昭和24年冬に上京し、勉のもとで居を構える。以後、三女一男を授かり、子育てと会社の操業に力を注いだ。
昭和56年、社長であり夫の勉が他界後、パイロットシューズの社長を継承し、同時に、勉が地域で担っていた役割も引き継ぎ、会社経営と地元浅草への地域貢献、そして母としての役割をこなしていった。
2002年(平成14年) 社長退任、長男 仁に譲る。
2012年(平成24年) 10月7日他界

藤原 仁(三代目)

1961年(昭和36年) 6月6日東京都台東区生まれ
1983年(昭和58年) 5月米国ヴァーモント州セントマイケルズカレッジ卒業後、欧州視察を経て、同年 12 月に帰国
1984年(昭和59年) 1月パイロットシューズ入社
2002年(平成14年) 5月三代目社長に就任
2012年(平成24年) 2月東都製靴工業協同組合 第 17 代理事長に就任
2014年(平成26年) 6月一般社団法人 日本皮革産業連合会 副会長に就任
2016年(平成28年) 5月全日本革靴工業協同組合連合会 会長に就任
2020年(令和2年) 6月一般社団法人 日本皮革産業連合会 会長に就任