社長メッセージ

 2025年6月1日、お蔭様でパイロットシューズは、創立75周年を迎えることができました。
 ひとえにお取引先の皆さまはじめ、パイロットシューズを支え、導いてくださったすべての方々のお力添えによるものと深く感謝申し上げます。
 そして、この周年記念と同時に、2025年は時代の大きな転換点であると受けとめ、長年にわたり社員寮として活用していた創業の地に工場を移転いたしました。今後は、「Wisteria Fujiwara」ブランドなどマス・カスタマイズ商品の生産を中心に、お客様にもご見学いただけるアトリエとして生まれ変わります。ここよりは、次なる四半世紀に向け、社員一同、心新たに、尚一層の努力を積み重ねてまいります。引き続きのご支援・ご鞭撻を何卒、よろしくお願い申し上げます。

 世界を巻き込んでパンデミックとなった新型コロナウイルス感染症も収まり、円安効果も加わって多くの外国人旅行者が来日されるようになり、ここ浅草もオーバーツーリズムと言えるほどの活況を取り戻しております。一方、ウクライナやガザ、ミャンマーなどでの紛争や、アメリカの自国優先主義による関税政策等がもたらす経済への影響はとても大きく、皮革関連業種においても、衰退に歯止めがかからない状況となっています。しかし、この厳しいタイミングであるからこそ、海外マーケットも見据えて、自社製品の強みを最大限引き出すと同時に、弱みを最小化し、特にブランディングやマーケティングに資本を注いでゆく必要があるように感じています。
 また、何が本当で、何が確かなのかがわからない時代を生きてゆく上で、もっとも必要なことは何か。 AIの急速な発展や超少子高齢多死社会に入る環境の変化に、どのように対応してゆくのか。無理のないかたちで、しかし理想は決して手放さず、持続可能な会社や社会の実現をめざしてゆくために大切にすることは何か──。改めて人間の価値を見つめ直し、「心の力」を引き出してゆくことにエネルギーを注ぐ時代が来ているように感じます。

 パイロットシューズは、すべてのお客様がそれぞれのかけがえのない個性を輝かせ、心の豊かさと身体の健康につなげていただけることを願って、革靴先進国イタリアでもなし得ない、日本ならではの「お・も・て・な・し」を取り入れながら、マス・カスタマイズシステムを活用した「Wisteria Fujiwara」をご提供させていただいております。
 同時に、一企業の力だけでグローバルな競争の中で必要とされる企業となってゆくことは、到底、出来ないと考えています。コロナによって絆が切れ、つながりの大切さを再認識した今だからこそ、これまで靴組合で進めてきた様々な事業を活用し、全体で築き上げてきた製靴技術や販売管理システム、そして響働の力を最大限に生かしながら、浅草靴産業の活性化に尽力してゆきたいと切に願っております。

2025年9月

一般社団法人 日本皮革産業連合会 会 長
日本靴連盟 副会長
全日本履物団体協議会 理 事
全日本革靴工業協同組合連合会 会 長
東都製靴工業協同組合 理 事

パイロットシューズ株式会社 代表取締役

藤 原 仁

会社概要

社名パイロットシューズ株式会社
PILOT SHOES Co., Ltd.
本社〒 111-0025 東京都台東区東浅草 2-22-5
アトリエ〒 111-0023 東京都台東区東浅草 2-24-16
TEL 03-3874-8121 / FAX 03-3874-8126
サロン〒 111-0025 東京都台東区東浅草 2-22-5
TEL 03-5808-0744
E-mailinfo@pilotshoes.co.jp
URLwww.pilotshoes.co.jp
創立1950年6月
設立1975年2月
資本金2,000 万円

パイロットシューズの歴史

1950 年(昭和 25 年)靴作りの本場、東京浅草にて「さくら製靴」として、藤原勉が創業
1953 年(昭和 28 年)「藤原勉商店」を経て、社名を「パイロットシューズ」に変更
1981 年(昭和 56 年)藤原富子社長就任
2002 年(平成 14 年)藤原仁社長就任
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藤原 勉(初代)

1907年(明治40年) 12月28日、岡山県玉野市田井生まれ
船乗りとして大海原を踏破し、数々の逸話を残している。
昭和21年に富子と結婚後、昭和24年夏に単身上京し、浅草で「さくら製靴」を創業
船乗りから靴づくりへ、という珍しい転身だった。
後に、船乗りだったことにちなんで社名を「パイロットシューズ」と命名し、靴業界の古い慣習にとらわれず、数々の新たな仕組みを導入した。職人制で不安定な生産体制にある業界の中にあって、当時では珍しかった給料制を取り入れたり、社員寮も作って従業員が安心して働ける会社環境を作るなどして、まさに「水先案内人」としての働きを成していた。船乗り時代、何度も遭難に遭いながら、たくましく生き延びたそのエネルギッシュなパワーで、事業も順調に成長させて行った。しかし 昭和51年、突如、多発生骨髄腫に罹り、5年間の闘病生活の後、昭和56年1月15日他界した。浅草の靴産業の発展に大きく貢献し、道なきところに道を切り開く、まさに砕氷船のような人生だった。

藤原富子(二代目)

1926年(大正15年) 8月1日、岡山県児島郡生まれ
昭和21年、21歳で40歳の勉と結婚。昭和24年冬に上京し、勉のもとで居を構える。以後、三女一男を授かり、子育てと会社の操業に力を注いだ。
昭和56年、社長であり夫の勉が他界後、パイロットシューズの社長を継承し、同時に、勉が地域で担っていた役割も引き継ぎ、会社経営と地元浅草への地域貢献、そして母としての役割をこなしていった。
2002年(平成14年) 社長退任、長男 仁に譲る。
2012年(平成24年) 10月7日他界

藤原 仁(三代目)

1961年(昭和36年) 6月6日東京都台東区生まれ
1983年(昭和58年) 5月米国ヴァーモント州セントマイケルズカレッジ卒業後、欧州視察を経て、同年 12 月に帰国
1984年(昭和59年) 1月パイロットシューズ入社
2002年(平成14年) 5月三代目社長に就任
2012年(平成24年) 2月東都製靴工業協同組合 第 17 代理事長に就任
2014年(平成26年) 6月一般社団法人 日本皮革産業連合会 副会長に就任
2016年(平成28年) 5月全日本革靴工業協同組合連合会 会長に就任
2020年(令和2年) 6月一般社団法人 日本皮革産業連合会 会長に就任